当社の周囲の環境と歴史

当社は、生駒山脈のふもと河内平野の中央部(通称;中河内といいます)に所在します。
この地方の歴史は古く、今から数万年前、旧石器時代にはじまりました。そのころ市域の大部分は、湿地で、山麓から当時の石器が見つかっています。特にニチダイがある若江地区は歴史の変遷の中心でありました
大化の改新以降は、河内郡衙(郡役所)が河内町、若江郡衙が若江周辺におかれていたと考えられます。奈良時代には生駒山のふもとの入江は「草香江」と呼ばれ、万葉集にも歌われています。
室町時代には、河内国の争奪をめぐる争いがくり返され、河内国守護畠山氏の築いた若江城はその拠点となり、後には三好義継の居城となりました。徳川家康が豊臣家を攻めた大坂冬・夏の陣では、若江が激戦の地となり、大坂方の武将木村重成はここで戦死しました。
1700年を過ぎたころから新田の開発がなされ、「河内木綿」は全国的に有名な産業となっています。
ニチダイはこの大阪夏の陣の戦場跡地にあり、木村重成公の墓碑の公園が南正面に春の桜の季節には,満開になります。